建築物

狛犬(吽
大正十酉年九月成
石工 鵜ノ木山谷 小俣徹石  

狛犬阿形
大正十酉年九月成
石工 鵜ノ木山谷 小俣徹石  

鳥居(上)

鳥居(下)

手水舎手水石

本殿・拝殿

稲荷社

古地図で見る田園調布八幡神社

明治39年(1906) 

大正6年(1917) 

昭和4年(1929) 

昭和20年(1945) 

昭和41年(1966) 

昭和51年(1976

昭和60年(1985) 

平成5年(1993) 

平成13年(2001) 

令和5年(2023)

由緒

創建

田園調布八幡神社の創建は鎌倉時代の建長年間(西暦1249~1256年)と伝えられる。 この時代、鎌倉幕府は執権北条氏が実権を握り、国内基盤固めを行なっていた。各地では 武士達はもとより村人達も幕府に忠誠を示す意味もあり、源氏の氏神を祀る八幡信仰が盛ん で、多くの八幡神社が建てられた。当時、この村の西側、現在の雙葉学園南側の盆地は篭谷戸(ろうやと…今もそう呼ぶ年配者もいる)と呼ばれる入江で、多摩川の水が滔々と打ち寄せる自然の良港であり、物資を積 んだ舟が盛んに出入りしていた。また、この村の高台部分には東より西へ貫いて鎌倉街道が 通り、篭谷戸の港に接続していた。港を中心としてこの一帯には多くの鎌倉武士が駐屯し、 鎌倉街道の要衝の地となっていた。そして、この八幡神社の地は港の入口に突き出した台地で、舟の出入りを監視できる重要な場所であった。 鎌倉武士はその重要な場所に祠を建て、 八幡神社を勧請した。以来、この八幡神社の地は聖地となり、人々に崇められてきた。 


中興

天正18年(西暦1590年) 小田原北条氏滅亡後、八王子城主、北条氏照の旧臣、落合某が この村に庵を結び、主家の冥福を祈った。 そして、寛永年間(西暦1624~1644年)、 落合某の孫、落合弥左衛門らによりこの聖地に新たな社殿が創建され、ご神体が祀られた。江戸時代、この神社は武蔵国荏原郡世田ヶ谷領上沼部村に属し、明治中期の四村合併まで 村社であった。寛政4年(西暦1792年)には、この村の知行主となった神谷縫之助も氏神とするなど、今日まで常にこの地域の人々の心の拠り所として崇敬されて来たのである。


【参考文献】応神天皇像(永禄年間:1558-1569伝承)/新編武蔵風土記稿 神社台帳C/大田区史年表/大田区の文化財 第7集 大田区の神社/大田区の文化財 第23集 大田区の神社建築/大田区史(資料編)民族/世田谷の伝統/田園調布八幡神社のしおり(平成15年5月3日発行)

〇御祭神:誉田別之命(ほむたわけのみこと)

〇創建:建長年間(西曆1249~1256年 鎌倉時代)

〇現存構築物

 社殿本殿:木造 一間社流造 板葺(年代 推定明治33年)

 社殿本殿覆屋:木造モルタル 流造 瓦葺(昭和46年)

 社殿幣殿:木造 切妻造 鉄板葺(昭和46年)

 社殿拝殿:木造 入母屋造 瓦葺(年代 推定明治33年)

 稲荷神社:木造 一間社流造 鉄板葺 鉄造鳥居

 鳥居(上):石造明神型(年代 享和2年壬戌 西暦1802年)

       石工 松原助七

 鳥居(下):石造明神型(年代 昭和15年)

 狛犬:石造(年代 大正10年)石工 鵜ノ木山谷 小俣徹石

 手水舍:木造(年代 昭和47年)

 手水石:石造(年代 昭和14年)

 社務所:木造モルタル 寄棟造 鉄板葺(年代 平成15年)


建築物の変遷